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常識に縛られない①

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「常識とは、何ですか?」

私は、この問いに対して、誰もが納得のいく答えを用意できる人は、1人もいないのではないかと思っています。

なぜなら、一般的な意味での「常識」とは、人間同士が日常生活を円滑に営んでいけるように、「後から取り決めたルール」に過ぎないからです。

日本で言えば、小学校での「道徳」の授業が、常識というものを学ぶ最初の機会になると思います。

道徳教育には、孔子を開祖とする「儒教」の影響が色濃く出ています。

そして、孔子の書いた『論語』を始めとする、儒教の教えをよくよく見てみると、「禁止」や「命令」が極めて多い事に気が付きます。

「~してはならない」
「~しなさい」
「~すべきだ」

これら儒教の教えは、人間に備わっている可能性を大きく開くものではなく、むしろ、特定の型にはめて縛っていく作用があります。

しかも、その禁止や命令の教えこそが、あたかも常識の中心であるかのように、幼いうちから脳に刷り込まれてしまうわけです。

これは、「儒教が悪い」といった単純な話ではありません。

キリスト教・イスラム教・仏教等の世界宗教が存在する中で、どちらかと言えば、世界的には「偏った珍しい思想」とされる儒教。

それを、あたかも「常識的な思想」であるかのように扱っている、「日本の教育が危険である」という話なのです。

もちろん、信仰の自由や言論の自由は、国民の権利として認められているので、各個人が、いかなる思想や価値観を持って生きたとしても自由です。

しかし、ある特定の思想だけを、国の教育に根強く組み込んで、支配・管理しやすい国民を作り上げようとする、文部科学省の教育システムには、私は異を唱えたいと思います。

~常識に縛られない②へ続く~

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